田中真介
1959年埼玉県鴻巣市(旧川里村)生まれ。高校卒業後、1977年久喜地区消防組合消防本部入署/1991年退職、北海道聖書学院入学/1994年 同学院卒業後、苫小牧福音教会(現日本同盟基督教団)副牧師/1997年 滝川福音キリスト教会牧師 現在に至る
家族:三人の娘は自立し、現在妻と二人暮らし
趣味:万年初心者のフルート&トランペット、一曲しか弾けないピアノ、油絵
クリスチャンになった経緯
私は、埼玉県で姉二人、三番目の長男として生まれました。両親は専業農家で家は仏教でした。高校を卒業すると憧れていた消防士になりました。消防士は、出動や訓練の無いときは、消火栓の点検から火災予防の看板作り等多岐に亘る様々な仕事をしています。私には天職と思えました。なかでも救急隊勤務は命にかかわることなので緊張の連続でしたが、同時にやりがいのあるものでした。自死、事故、病気・・・様々な人の死を見てきました。けれども不思議と自分と死はつながらず、いずれ自分も死に至るという感覚はありませんでした。
ある時、若者5人が乗った車と親子2人の乗った車の事故がありました。若者の車が分離帯を乗り越えて反対車線に飛び込んだのです。その事故で6人が亡くなりました。その時、私は、初めて自分も被害者になりうると感じました。死が現実のものとして感じられたのです。
いのちに限りがあるとわかって、生への感謝と喜びは深まりました。けれども死そのものへの恐れや、死の先にあるものへの漠然とした不安は消えませんでした。
あるとき、近所にいた宣教師に会う機会がありました。はじめは、キリスト教への関心はありませんでしたが、次第に異文化への興味(宣教師はドイツ人)もあっていろいろ質問するようになりました。
私は、農家の長男でしたからお墓の事など、宗教的なことにも話題になりました。ひとつひとつ丁寧に答えて下さる誠実さに次第に、その宣教師夫婦が信じている聖書や神について知りたいと思うようになりました。その宣教師と聖書を学ぶうちに神の愛と自分の罪に気づかされ、イエスキリストの十字架の意味が分かりました。私は、人格的な神が存在し、死が肉体のいのちのおわりではあっても、すべての終わりではなく、その先があることに納得し深く安堵しました。それまでは、悪人と善人が死後同じ所に行くはずはないと思っていましたが、一体誰が人の善悪を判断するのか疑問に思っていたのです。
誰でも人の欠点や罪を指摘することは出来ますが、自分の非を認めて悔い改めることは難しいと思います。私は、自分では、それほど悪人ではないと思っていましたし、事実、人に後ろ指指されるようなことはしていないつもりでした。でも、神の前に立つと今までの人生、心をさぐられ、清廉潔白でないことを認めざるを得ませんでした。それにも関わらず主イエスキリストは、私の罪を負って死んで下さったことに驚きました。
人は、何ができるか、どんな結果を残したかだけに価値があるのではなく(努力の評価も必要です)、イエスが身代わりに死なれる程大切に思っているから価値があるのだと分かり・・・とても嬉しくなりました。まるで世界が反対方向に回転でもしたかのような驚きと喜びでした。
以後、消防の現場でいのちの危険を感じることがありましたし、レスキュー訓練大会で努力したにも関わらず良い結果を残すことが出来なくて意気消沈したことも何度もありました。同僚との人間関係で悩んだこともあります・・・でも、最善を尽くしたことを認めて下さる方がおられること、また、私のたましいが神の御手うちにあることに感謝し平安でいられました。この喜びを皆さんにもお伝えしたいと思っています。